51

例えば,テレビ番組について面白いかそうでないかの基準は,その番組の性格によって違ってくる.ドラマだったら良い脚本.バラエティだったら笑えること.教養番組だったら知的好奇心を刺激する何か.音楽番組だったら,もちろん,良い音楽だ.つまり,番組の性格といわれるものが,イコール,面白さの基準になるのだと僕は思う.
しかし,中身はともかくとして,それを良いか悪いか判断するのは,結局のところ個人である.それなのに,本物とか,普遍的とか,あるいは普通なんてものが本当に存在するのか,僕はいつも疑問に思う.全ての価値は個人的で,その多数派が本物になり,少数派が偽物になるだけ.僕はそう思っている.
ああ,違った.僕はこんな話をしたいんじゃない.ここまでの話は,あくまで前置きだ.
番組の性格というものが仮にあったとして,それが価値の全てを含んでいるわけじゃない.そこには人が存在し,個人の魅力がある.番組の性格とは無関係に,その人の存在だけで価値の大半が決まってしまう場合だってある.
では,番組の性格と個人の魅力と,どちらが果たして重要なのか.必要とされるものなのか.これもまた結局は,個人が判断することだけれど,少なくとも僕は,片方がゼロで,もう片方が1,というような見方は出来ないと思う.番組の性格だけではそこに個人は存在しないし,個人の魅力だけでは番組である必要が無い.番組の性格だけをひたすら求めるのは何だか窮屈で,個人の魅力だけをひたすら求めるのは何だか退屈だ.
(とは言っても僕は,どちらかと言えば個人の魅力を重視してしまう)